ラボ神部です。
ちょっと思うところあって、10月以降いったんコーディング無しでプロジェクトをすすめるチャレンジをしてみようと思いたちました。これまで基本は自分の手を動かすことで生計をたててきた自分が「なにかやりかたを変えなくては」と思った結果、自分の今の立ち位置、これからの立ち位置を見直すうえで有効なやり方がこれではないかと思ったのです。
自分の手でなにかを作ること、手を動かすことは非常に大事だし、よいコードを書ける人やコミュニティがあることは楽しいし、とてつもなく重要だと考えることはこれからも変わりないでしょう。しかし逆に言うと、それ以外のやりかたについて自分は十分知らないということに気づきました。それはすなわち自分の弱みでもあります。
私が時々同僚や後輩に「神部は自分がやれることはなんでも巻き取ってしまう」と時折言われることがあります。実現可能性や効率を考えた上での自分なりの判断だったのですが、常にそういう進め方しかできないというのでは、自分の幅を大きく狭めてしまうことになってしまうのではないでしょうか。
自分が得意なやり方を極めるのではなく、自分が苦手なやり方でなにかをすすめるということ、つまり自分のケースにあてはめると自分自身は主要な部分について手を動かすことをせずになにか Web 上のサービスを完成させる、そういうことが必要ではないかと思ったのです。ですので、私は2008年10月以降、しばらくノーコーディング宣言をして、しかしなにかを生み出すと言うことにチャレンジしてみたいと思います。
今までとは違うやりかたで、今までと同じことにチャレンジする、それは今までに得られなかった貴重な経験を与えてくれるのではないかと、今からわくわくしています。
今こういう気持ちになって思い出すのは10年前の大学生時代にやった試みです。ちょうど WWW が普及しはじめたばかりの頃で、すっかりそのブームにほだされた自分は世間の情報を既存のメディアを通さずネット経由で取得出来ないかと思い、TVやラジオ、新聞の情報をいっさい遮断しようとしました。しかし現実には、2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロ事件の実情をありありと理解したのはTVやラジオといったメディアを通じての出来事でしたし、情報をストリームで取得するのにIP経由の通信と比べ電波ほど効率的なものはないということもよくよく理解できました。
この経験と同じように、今まではコーディングで全てとは言わなくとも大半の部分を解決しようと思っていた意識を一度捨てることで、今度は何が見えてくるのでしょうか。そして、その両方を知り得た上で、どれだけ <やりとげたいこと> に対する実行力が変わってくるのかを、見極めてみたいと思います。
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